太子町ボランティアガイドの皆さん
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叡福寺は石川寺、太子寺、御廟寺とも称され、四天王寺、法隆寺とならんで太子信仰の中核となった寺院で、太子薨去後、推古天皇より方六町の地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりです。
太子の御廟がある叡福寺は、太子建立の四天王寺や、下の太子(大聖勝軍寺)、中の太子(野中寺)とともに、太子信仰の霊場として栄えました。
磯長山の丘陵を利用した高さ7.2m・直径54.3mの円墳で、内部は横穴式石室になっています。
奥の森が聖徳太子御廟
竹ノ内街道歴史資料館に展示されている、聖徳太子御廟の横穴式石室のレプリカ
石碑下部の剥がれている部分は、ありがたいものとして、人々が削り取って持っていった跡です。
石碑の説明文
聖徳太子十六歳の像が安置された建物で、豊臣秀頼が再建したものです。
擬宝珠(ぎぼし)には、秀頼の名前が書かれています。擬宝珠とは、五重塔などの仏塔や仏堂の頂上や、橋の欄干などに取り付けられるもので、宝珠の持つ力を身近に感じ、長く守ろうとした人々の願いから生まれたものとされています。別名、葱の花に似ていることから葱台(そうだい)と呼ばれます。
聖徳太子の父親である用明天皇の墓とされています。
竹内街道の整備とともに建設された竹ノ内街道歴史資料館は、平成5年3月3日にオープンしました。
街道脇にたたずむ館内では、最古の官道とも呼ばれる竹内街道と太子町の関わりが一目でわかるように展示されており、ここへ訪れた人々は往古の街道へタイムスリップすることができます。
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