5月19日(金)終日 寺内町まち歩き&杉多すだれ博物館見学

 

・集合時間と場所:9:50 きらめきファクトリー横駐車場

・連絡事項:今日の予定について日高ディレクターより説明

   ①あいにくの雨で足元が悪いので十分注意して歩いてください。                                                                                                                               ②Aグループ(1班・2班)、Bグループ(3班・4班)の2グループに分けて行動する。                                                                                           ③Aグループ:10時05分出発→寺内町まち歩き→12時~昼食(じないまち交流館)→13時~14時40分杉多すだれ博物館見学→解散

   Bグループ:10時出発→10時15分~11時30分杉多すだれ博物館見学→12時昼食(じないまち交流館)→13時~14時40分寺内町歩き→解散

 


午前:寺内町まち歩き(Aグループ)

 

・講師:寺内町ボランティアガイド 歴史研究家 中辻 亘講師

・寺内町の概要について、中辻講師から説明を受けました。

 (歴史)寺内町とは、真宗の寺院を中心に塀や土塁等で防御した宗教自治都市を言います。

    富田林寺内町は、16世紀半ば(永禄年間)の戦国時代に、京都興正寺14世証秀上人が

   訪れ、荒廃地を買収して「興正寺別院」を建立し、上人の指導の下、近隣4カ村の有力百

   姓が中心となって御坊を中心とした町づくりが行われました。

    江戸時代には、石川の水運、東高野・千早街道の交差する陸運に恵まれ商業の町として

   大いに発展。なかでも、豊富な河内米と石川谷の良水に恵まれて酒造業が発達しました。

    

   (町並みー重要伝統的建造物群保存地区)

      富田林寺内町は、約450年前の戦国時代にできた町、戦乱を避ける知恵が随所に生かされていました。町は一段上がった台地の上に

     あり、周囲には土居を巡らせて竹を植え、町筋の道と道は「あてまげ」といって半間ほど道をずらし、見通しを妨げています。

      寺内町にある建物約600棟のうち200棟余りが、江戸から昭和中期の建物です。

      近世の町割りと優れた意匠の大規模な町屋や寺院が連なって残る景観が評価され、平成9年に一部、平成30年に全域が大阪府随一

     の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

      

 ・寺内町まち歩き 雨の降りしきる中でしたが、中辻講師の案内で、町の見どころや建物など詳細な説明を頂きました。

  ①巡礼街道と北口地蔵  寺内町(富田林町)の北の出入り口に、「北口地蔵」とともに「巡礼街道(西国観音霊場三十三所巡礼の道)」

     の道標がある。道標は「右まきのう寺(正面西向)・左ふじゐ寺(左側北向)」とあるが、移設のためか位置が異なっているとのこと

     です。  

   

② 城之門筋 奥谷家住宅と東奥谷家住宅あたりから見る。  

   城之門筋門を中心とするあたりが歴史の町並みが最もよく保存されており、江戸時代から明治、大正期と各時代を代表する町屋が立ち並ん

   でいます。奥谷家は、江戸時代半ばから材木商を営んでおり、またその分家に当たる旧東奥谷家はかつて油屋を営んでいた家で、ともに文

   政年間の建物とのことです。それぞれ敷地に土蔵や納屋が現存しています。家の前には防火用水もおかれています。

 

③ 町家ウオッチング

   中辻講師から「ここの3棟ある建物で一番古い家はわかりますか?その順番は?」と問われ

  て戸惑いました。

   城の門筋を中心とする辺りは、江戸時代から明治、大正、昭和前期の建物が並んでいます。

   町家の外観は、主屋、塀、蔵の組み合わせで構成されており、家々により異なった表情を見

  せています。珍しい「三階蔵」もあります。

   建物の細部についても工夫されており、2階の明かりとりと風通しのための「虫籠窓」(各

  時代の町家によってさまざまな形がある。)、屋根上には「煙り出し」や鬼瓦・魔除けの瓦人

  形などがあります。また、塀の上には防犯用の忍び返し」を備え、道路に接する面には牛馬を

                      つなぐための「駒つなぎ」があります。

  

 

④ 興正寺別院ー富田林御坊

   興正寺別院は、永禄年間(1558~70)に、京都・興正寺第16世証秀上人が創建した寺

  院です。富田林御坊の建立を発意した証秀上人は、石川の段丘上にある荒芝地を銭百貫

  文で取得、近在の4カ村の庄屋株2人ずつ、計8人に興正寺別院の建立と畑屋敷、町割り

  などの建設を要請し、御坊の町が形づくられてきました。

  城之門筋に表門(山門)を置き、鐘楼・鼓楼、を構え、本堂、客殿、庫裏などを配して

  います。

   境内にある本堂、鐘楼、太鼓楼などの建造物は、国の重要文化財に指定されていま

  す。   

   

 

⑤ 山中田坂(やまちゅうだざか)ー 旧千早街道・旧観心寺道

   富田林寺内町は、石川の「河岸段丘」上に立地しています。石川の河川敷より10メートルほど高い

  段丘面が川の方に大きくせり出しているため、町の東、南、西には段丘崖があり、町から出ていく道は 

  段丘崖を急こう配で下ることになります。

   「富栄戎」の南隣「山中田坂」は急こう配の階段となっており、坂を下ると「旧千早街道・旧観心寺

  道」に通じています。この付近では眼下に石川が・金剛・葛城・二上の山々が展望できるとのこと。

   ほかにも、亀が阪、山家坂、向田坂などがあります。

      

⑥ 旧杉山家住宅 寺内町最古の町家遺構=重要文化財に指定

   杉山家は寺内町創立以来の旧家で、江戸時代を通じて富田林八人衆の一人として町の経

  営に携わってきました。江戸中期以降、造り酒屋として財を成し、町割りの一画を占める

  広大な敷地内に、主屋をはじめ酒蔵、釜屋、土蔵など十数棟が軒を接して建てられてお

  り、その繁栄をうかがうことができます。

   現存する主屋の建築年代は、土間部分が17世紀中期で最も古く、その後に座敷や2階部

  分を増築し、延享円強4(1747)年頃はほぼ現状の形に整ったものと考えられています。

   明星派歌人、石上露子(本名 杉山タカ)は明治15年(1882)に杉山家で生まれまし

  た。敷地内の蔵には、露子ゆかりの遺品が展示されています。

  

   中辻講師の案内で家の内部を見学。まず、土間の広さにびっくり、「釜屋」があり、屋

  根にある「煙り出し」に通じているのがわかりました。

   座敷は付書院、床、違い棚など本格的な作りで、透かし彫りの欄間の見事さ、大床の間は、能舞台をイメージした狩野派絵師による華麗な

  老松の障壁画のすばらしさに圧倒させられました。

   明治後期に作られたという螺旋階段を上がっていくと、石上露子のために作られたという奥座敷がありました。簡素ですっきりした感じの

  する床の間や違い棚、明るい感じのする付書院など、意匠を凝らした座敷に思われました。   

 

 



午後:杉多すだれ博物館見学(Aグループ)

 

   昼食後、じないまち交流館を出発、「杉多すだれ博物館」に移動。

 

  杉多公一社長、森口さんの出迎えを受け、ビデオにより、概要と「すだれ製作工

 程」にいての説明の後、館内を見学しました。(館内撮影禁止)

 

 ① すだれ博物館の概要(「すだれ博物館」杉多製簾株式会社発行より引用)

   杉多家は良質の真竹の産地として恵まれた金剛山・葛城山の麓で大阪金剛簾の権

  威と伝統を守るべく天保10年(1839)以前から現在に至るまで180年以上にわた

  って、昔ながらの手法を守り続けています。そんな「簾の文化」と富田林・新堂村

  で始まった「竹かご」に対する「杉多の想い」を解りやすく説明し後世に伝えるた

  めに、今までの資料館を一新して「すだれ博物館」を開館しました。

  

    ② 館内の見学 展示室は1階と2階に展示されており、それぞれ「すだれ」への深い想いを込めて展示されています。

         ・1階 「すだれの歴史と製造過程の話

         悠か昔から使われていた「簾編み台」から初期の製簾機」や昭和30年代に大流行した「ビニール簾」とその機械など、簾の

        製造にかかわる道具の歴史やその時代ごとの製造工程などを中心に展示されています。

         展示されている簾編みの機械での作業の実演を見せていただきました。

      ・2階 「かごとすだれの歴史や大阪金剛簾、中国・朝鮮簾などの展示」

         2階に上る階段から、簾にまつわる資料が展示されており、特に平安絵巻に登場する貴族と簾の関係がよく理解できました。

         2階通路壁面には日本と周辺国との時代に応じた繋がりの歴史や世界の出来事を簾の歴史と絡めて説明展示されています。

         新堂村に流れ着いた南朝の武士が製造を伝えたとされる竹細工、簾コーナーもあります。

         特に、伊勢物語絵巻に表現される御翠簾(おみす)が印象に残っています。

       

               (注)大阪金剛簾とは。

                  日本のすだれの歴史は飛鳥、奈良時代とされ、平安時代の宮中等の間仕切りや装飾に使用された御翠簾

                 (おみす)が、現在のお座敷簾の原型と言われています。

                  大阪金剛簾の元となる簾づくりは、江戸時代の明暦年間に富田林の新堂村で竹籠づくりから始まり、簾づ

                 くりも行われるようになったと伝わっています。金剛山麓や富田林で良質の竹に恵まれたことから、天然の

                 素材を生かした優雅で格調高い簾は、日本的な風流さを備えています。

                  1985年に大阪府知事から「大阪伝統工芸品」の指定を受け、1996年に通商産業大臣(現経済産業大臣)

                 より「大阪金剛簾」の名称で「伝統工芸品」の認定を受け、本市の伝統産業として継承されています。

                                                          (「富田林市の伝統工芸品」記事より引用) 

 



 

      中辻講師には、雨の降りしきるなか、ポイントを押さえたご案内とご説明頂き、ありがとうございまし

  た。寺内町に対する愛情と、町の景観を維持しより発展させたいとの思いが、ご説明の端々に伺うこと

  ができ、頼もしく、楽しくまち歩きが出来ました。

  今日のご案内いただいたことを思い出しながら、再度歩いてみたいと思います。

  ありがとうございました。

  


 

  すだれ博物館では、杉多社長と森口さんに、懇切丁寧にご案内とご説明を頂きありがとうございました。

  杉多社長は、伝統工芸士でもあり、自ら真竹を選定、伐採し、節を削り、包丁で竹ヒゴとし、選別した竹

  ヒゴを慎重に編んで、現役で伝統に従った「大阪金剛簾」を仕上げておられると伺っています。

  今日のご説明の中でも、簾製造に誇りと、伝統を守ろうとされる強い意志を感じました。昔の透かし彫り

  簾について聞かれたのに対し、「今は自分にはできないが、きっと作って見せる」と言い切られ、まだま

  だ挑戦される姿勢に圧倒されました。お元気でますますのご活躍とご発展をお祈りします。

  帰りには、小さい可愛い「すだれ」を頂きました。ありがとうございました。大事にします。